春日井市立春日井小学校の金次郎像復元
愛知県春日井市立 春日井小学校
春日井市宮町字宮町3
創立 明治8年7月
http://www.kasugai.ed.jp/kasugai-e/
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愛知県春日井市 春日井市立春日井小学校には戦前と戦後に二体の
金次郎像が寄付されましたが、戦前のブロンズ像は戦中の金属供出で
供出され、戦後再建された二代目のコンクリート像は破損が進んだため
撤去されてしまいました。近年、卒業生や町の有志から金次郎像復元
の声が盛り上がり発起人の皆さんのご努力により復元が実現しました。
復元除幕式 平成25年3月10日
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初代の像は昭和12年 花井文四郎氏と山田勝太郎氏叙勲受賞記念として
寄贈されました。この像は銅像であったため昭和19年金属類回収令により
国に供出されてしまいました。その初代の像の石の台座のみ残されました。
戦後昭和24年2月2日、二代目としてコンクリート製の「薪を背負って本を
読む子供像」の入魂式が行われた記録が残っていますが、破損しました。
復元委員会の方が保存されていた二代目の像の写真
コンクリート製で平成20年ごろ子供の蹴ったボールが当たり破損
修理不能で撤去された。頭部の一部は校長室で保存。
初代の台座
正面の銘板「勤倹力行」 初代銅像の寄付者銘板 製作者 浅野銅器店(名古屋市橘町)
復元委員会の復元の趣旨
近年「昔小学校にあった金次郎の像はどうなった」という話をたびたび耳にします。
二宮金次郎(尊徳)は江戸時代に活躍した篤農家です。 貧しい農家の出身で、
まき拾いの合間に本を読んで勉強する姿が勤勉の象徴とされ、戦前は各地の
小学校に金次郎像が建てられていました。わたしたちの学校 春日井小学校にも
昭和12年に花井文四郎と山田勝太郎の両氏が叙勲受賞記念として寄贈された
銅製の「二宮金次郎の像」がありましたが、戦時中の昭和19年に国へ供出され
台座のみが残りました。 戦後の昭和24年、二代目としてコンクリート製の「薪を
背負って本を読む子ども像」が、銅製のプレートに「勤倹力行」と書かれた台座の
上に復元されましたが、平成20年にサッカーボールが当たったことにより損壊し、
今は運動場西の器具庫の前に台座のみが残ったままとなっています。そこで今般
この「二宮金次郎像」を復元したく、ご協賛を募ることとしました。金次郎(尊徳)像
から、勤勉や倹約の精神を子ども達にも学んで欲しいと思います。
・製作者は、二紀会の石彫家 大口明一さんです。
大口明一氏は春日井小学校東隣の両社宮神社に多数の石像を製作されている。
・由来書は、地元春日井区在住の春日井市美術協会 理事長 書家の後藤清勝さんです。
・協賛者は、主に卒業生や地域の方で、本趣旨に賛同頂けた方。
何度も場所が移動し、近年はグラウンドの西側の植え込みの中にありました。
初代は現在の校舎の位置に木造校舎がありその正面にあったそうです。
その後南側の正門の横にもしばらくあり、校舎の建て替えなどでこの場所に
移動されたようです。復元発起人の皆さんと小学校側の話し合いで、校舎前の
現在「岩石園」がある場所に設置することが平成24年12月13日に決定。
岩石園
設置場所を検討する発起人の皆さん
金次郎像の製作を、春日井小学校の隣にある「両社宮」の多くの石像を作られ
また各地の公共施設に作品がある石彫刻家大口明一氏(二紀会員)に依頼。
両社宮にて 大口明一氏
台座の加工の打ち合わせ 左端が大口氏
像の制作は両社宮の境内で行われました。
両社宮境内の製作現場
上は変更前のマキ
バランス上大きかったので下のように小さくされた。
上は変更前 本も下のようにやや小ぶりに変更された。
台座の銘板埋め込み部分の加工
平成25年1月6日
台座移設の基礎部分工事
平成25年2月初旬
移築後の台座
据付工事
平成25年2月25日
台座の据付前の加工
像の基礎部分の幅と合わせるため
造園業者の発起人の方のトラックに積み込み
アンカー棒用の穴明け加工
薪の据付 本は後でボルトで固定
据付け完了
除幕式までブルーシートで覆う
除幕式前日(3月9日)
最後の仕上げ作業中の大口氏
清掃作業
外柵を設置(平成25年4月4日撮影)