一家仁 一国仁 一家譲 一国興譲 一人貪戻、一國作亂。其機如此。
金次郎が学んだと言われている儒教書四書「大学」「中庸」「論語」「孟子」の内の「大学」の一節。
一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、
一人貪戻なれば一国乱を作す。その機かくのごとし。
一家の内が仁の道を行えば、その国中が仁の道を進んで行うようになり、
一家の内が互いに譲りあえば、その国中の人々が進んで譲りあうようになり、
これに反して君主が自分の利益のみを貪るならば、その国中の人々が争いを
起こすことになり、国が治まると乱れるとのその仕掛けはこの通りである。
ブロンズ(青銅製)の像の本、斧や薪は別製の場合が多い。 大阪 慶寺丹長作の銘が後ろに。
最初はココにのっていたらしい。
明忠院(みょうちゅういん)
名古屋市緑区大高町鷲津5 曹洞宗、天正元年(1573)創建。
大正10年(1921)に県下で初めて保育施設を開設
愛知県知事 桑原幹根氏 揮毫 「愛知の保育此処に始まる」
1970(昭和45)年に「子供の家」創立50周年を記念して建立
1921(大正10)年, 明忠院の住職 服部賢準氏が, 父母が農作業中に
田畑などに放置されたままの幼児を見て 幼児保育の必要性を痛感し,
寺の本堂で 農繁期の幼児保育を始めた。
1949(昭和24)年に 愛知県における第1号の保育園として認可
社会福祉法人 子供の家 保育園