利尻島の報徳碑

              利尻町博物館 西谷榮治氏

                                                                            TOPICSへ戻る


                利尻島の報徳碑
       -愛国婦人会・国防婦人会統合記念で建立された二宮尊徳像-
                西谷榮治
                はじめに
 本稿は利尻島に現存している二宮尊徳像についての調査報告である。現在、利尻島では
薪を背負って本を読んで歩いている二宮尊徳像が三基確認されている。それらは利尻町立
博物館、旧利尻町立久連小学校敷地内(以下久連小学校と記す)、旧利尻富士町立本泊小
学校敷地内(以下本泊小学校と記す)にある。利尻町立博物館所蔵は利尻町立仙法志小学
校敷地内にあったものである。
三基ともに共通していることは次の通りである。背中に薪を背負うこと、左手に本を載せている
こと、右手で薪を背負う背負子の紐をもっていること、左足が前に出ていることである。また、
久連小学校敷地と本泊小学校敷地にある報徳碑の台座に「至誠報徳」と刻まれ、同じ字体が
用いられている。これらのことから、利尻島に現存している二宮尊徳像はほぼ同じ時期に建立
されたと思われる。
以下に、二宮尊徳像の全体像を明らかにするための調査結果を報告する。

              利尻島の二宮尊徳像建立
利尻島にある三基のうち久連小学校敷地内に建っている二宮尊徳像に建立に関わる碑文がある。
それには「愛婦國婦統合記念昭和十七年八月建設」と刻まれている。同校の学校沿革誌の昭和
17年11月3日には「二宮尊徳像除幕式挙行(仙法志村愛婦國婦統合記念寄贈)」と書かれている。
また、仙法志小学校沿革誌の昭和17年9月13日に「本村愛国婦人会國防婦人会統合記念トシテ
本校ニ二宮尊徳先生ノ像寄贈サル 設立ノ為勤労奉仕ス」、10月20日に「二宮尊徳先生像ノ除幕式
挙行」と書かれている。
愛国婦人会仙法志分会と国防婦人会仙法志村分会を統合し新たに大日本婦人会仙法志村支部が
結成されたことは『婦人会』(大日本婦人会仙法志村支部 昭和十七年)(利尻町立博物館所蔵番号
仙法志E4634)に綴られている。その中にある「大日本婦人會経過報」には大日本婦人会仙法志村
支部結成に至ることが記されている。

大日本婦人會仙法志村支部結成ノ経過を御報告申上げます。
日支事変勃発によりまして國内体制の整備強化が要望せられ國民再組織運動が澎湃として起り着々
國民組織が整備されて参りまして政治方面より見ましても各政黨の解散統合或は國家の最下部組織
であります町内會部落会等が整備され確固不抜の体制を整ひ戰争遂行の為め一路邁進致して居るの
でありまするのが婦人團体に置きましても之れが統合を行ひ而して強力な団体として國内戰時体制に
即應せんと致しまする事は朝野の要請であったのであります 昨年十一月八日畏くも宣戰の大詔換発
せられまして日支事変より更に進んで大東亜戰争となり愈よ整備統合の緊要なるものがあり中央に於
ては去る二月二日輝き発足を致しましたので續いて道支部の結成があり本村に対しても速かに統合
結成する様指令がありまして去る六月二日各関係方の御参集を煩はし愛婦國婦の解散並に大日本
婦人會仙法志支部結成に関し打合會を開催致したのであります。
而して去る六月四日付を以て大日本婦人會會長より左の如く本支部役員を委嘱せられたのであります
役員の氏名を申上げます
別紙
以上の方々が委嘱せられ又六月二日に御参集願ひました方々に本支部結成の産婆役を御願ひ致し
まして會員を募集致しました処入會して下さいました會員の総数は四百三十余人多数を得た次第で
あります
勿論日本婦人たる以上全部会員となる義務があるのであります かく致しまして準備完了なり 本日茲に
結成式を擧くるを得た次第でありまして當支部結成に付特段の御配慮下さいました各関係團体各位村
有志各位及本支部の會員募集並に結成準備に奇に御盡力下さいました皆様に心から御禮を申し上げ
ます以上雑然ながら本支部結成の概略を申し上げ本支部結成経過報告と致します

この「大日本婦人會経過報」の前に綴られている「式辭」の最後尾にある日付は昭和17年6月15日と
なっている。さらに昭和17年6月17日付けで仙法志村長東田輿三松の東京都下谷区仲御徒町4丁目
36番地の日本硬化石美術工業所への二宮尊徳像注文書が綴られている。

二宮尊徳像ニ関スル件
愛国婦人會及國防婦人會統合記念トシ児童教育上二宮尊徳像ヲ村内各校ニ同両婦人會ヨリ寄附相成
事ト決定候処購入ノ都合モ有之候條左記條件ニ依ル見積書至急御送付相成度候也

一 納入期日 昭和十七年八月三十日限
一 納入場所 北海道利尻郡仙法志村仙法志港
一 像及台座各一個ノ場合各二個以上ノ場合ノ見積書ヲ別紙トスルコト
注意
輸送経路ハ小樽港経由船便ニテ仙法志港揚輸送料ヲ含ム見積書タルコト
都合ニ依リ小樽港迠ノ運賃見積リニテモ可ナリ

日本硬化石美術工業所からの見積書は昭和17年6月30日に仙法志村役場で受け付けている。
金額は202円で、内訳は硬化石製二宮尊徳像(壱米)壱基75円、黒御影研出臺座(高四尺)壱基100円、
小樽駅迠ノ鉄道運賃(太田発)27円となっている。
二宮尊徳像建立計画案は大日本婦人会仙法志村支部の同年7月27日に行われた役員会と同年8月18日
に行われた理事会に議案として「尊徳像建設ノ件 二重台座ハ一基二五〇円 一重台座ハ一基一七五円
運賃小樽駅迠大畧一基二七円」と提示されている。二宮尊徳像建設の目的や話し合われた内容は記載
されていないが、昭和17年8月19日付けの仙法志村議案罫紙に注文内容が記されている。宛名は「日本
硬化石美術工業所」で、件名は「二宮尊徳像註文ノ件」である。内容は「標記ノ件六月二十二日附見積書
御送付相煩候処左記ノ通リ註文候ニ付取急キ納入相成度此段及御依頼する 記 一、像ノ種別 壱米突像
二重台座 二 台座側面希望彫刻 愛婦國婦統合記念 昭和十七年八月建設 三 納入期日 昭和十七年八月
末日」となっている。

二宮尊徳像が利尻郡仙法志村に届いたのは納品書と請求書が一枚の用紙に合わせて掲載されている書類
の受付日が昭和17年9月10日と同年9月18日となっていることから、この日がそれぞれの像の到着日であると
思われる。仙法志小学校寄贈の二宮尊徳像の建立作業は9月13日に行われ、除幕式は10月20日に行われた。
久連小学校での建立作業日はわからないが除幕式は11月3日に行われている。仙法志小学校の二宮尊徳像の
除幕式の案内は10月19日に発行されている。宛先は村会議員、警察、在軍、警防団、漁組、両校長、保護会長、
村医、部落会長、部落各部長、青年団長で、案内状は次の通りである。

拝啓 時下秋冷之候益々御清栄之段慶賀の至りに存じ候陳謝愛國婦人會國防婦人會漁婦人會ノ統合記念トシテ
仙法志、久連両校二児童教育資料ノ為二宮尊徳像ヲ各一基寄附建立中ノ処此程仙法志校分竣功仕リ候ニ就而ハ
明二十日午後一時ヨリ之が除幕式挙行致度候間御来臨ノ栄ヲ賜リ度此段御案内申上候

おわりに
利尻島に現存している三基の二宮尊徳像のうち仙法志地域にある仙法志小学校と久連小学校にあった二宮尊徳像
建立の目的や製造・経過がわかった。その目的は「愛國婦人會國防婦人會漁婦人會ノ統合記念」と「仙法志、久連
両校二児童動教育資料ノ為」である。本泊小学校の建立についての資料は確認されていないが、形態や碑文に共通
性があることから、同じ目的と経緯であると思われる。このようなことから利尻島に現存している二宮尊徳像は戦時体制
下の中で果たすべき役割があったと言える。
子供たちの勤倹力行を目標として建てられた宗谷管内の二宮尊徳像は利尻町・利尻富士町以外に礼文町3基、
稚内市3基、猿払村2基、中頓別町1基、枝幸町2基あることが確認されている。今後,さらに調査を進めて、建立の目的
・経過などを明らかにして行きたい。
謝辞
資料調査にあたって仙法志小学校に寄贈された二宮尊徳像除幕式の写真を提供してくれた山本俊郎氏に、末筆ながら記して感謝申し上げます。

 
            写真1 久連小学校二宮尊徳像                           写真2 久連小学校二宮尊徳像建立碑文


                   写真3 久連小学校二宮尊徳像と建立碑文

 

             写真4 仙法志小学校二宮尊徳像                             写真5 本泊小学校二宮尊徳像
              (利尻町立博物館所蔵)



                                       写真6 二宮尊徳像カタログ



                写真7 仙法志小学校二宮尊徳像除幕式



    写真8 仙法志小学校二宮尊徳像除幕式記念誌写真


                                             利尻町博物館 西谷榮治氏 提供

                               (改行位置変更しました。)

      


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