製作者
 中條信男他3名 若松村女子青年団(初代)
特記事項/寄付者
 大黒屋光太夫 
碑銘
 昭和15年2月11日(初代) 現在の像 昭和42年  
設置年月日
 50cm 
大きさ
 石像座像
材質・形状
若松小学校
鈴鹿市
三重県











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三重県鈴鹿市 若松小学校
三重県鈴鹿市若松中一丁目4番1号
http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/waka-e/
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創立 明治6年

江戸時代 天明二年(1782年)伊勢白子から江戸に向かって出航した船が
遭難し、漂流後ロシアに渡り10年後帰国した「大黒屋光太夫」の像でした。
光太夫の出身地が鈴鹿市若松だったことから、昭和42年地元の若松小学校に
設置されたもの。大黒屋光太夫に関しては、遭難・漂流の末10年に亘る
ロシア放浪の末故国にたどり着いた顛末を描いた長編歴史小説井上靖
「おろしや国酔夢譚」で紹介されている。台座には「皇紀二千六百年記念]
「昭和15年二月十一日」「寄贈者 若松村女子青年団」とあり台座の上の
跡からおそらく石像の金次郎像があったと思われる。その後、何かの理由で
金次郎像がなくなり、あとに光太夫像が昭和42年に設置されたようだ。
時々台座だけ利用して他の像を設置したところがあるが、実在の具体的な
像が載ってるのは珍しい。若松小学校の前に「大黒屋光太夫記念館」
があるが、館の前にある像は、小学校の像とはまるで違う姿なのだが,
光太夫の絵は少なく実際の姿はまったくわからないようだ。明治35年出版の 
蘭学者大槻玄沢が主催する芝蘭堂の新年会で帰国した翌年寛政6年の
様子を描いた絵に出ている光太夫の姿が若松小学校の像の元だと思われる。
光太夫の背中に寄付者名が刻まれている。「中條信男」他3名の連名。



 







 






初代石像の跡

大黒屋光太夫記念館



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