製作者
 駒野 川瀬くら      
特記事項/寄付者
 源丞内の像               
碑銘
 昭和14年3月  
設置年月日
 160cm 
大きさ cm
 石像 立像
材質・形状
養老鉄道 養老駅前
養老町
岐阜県





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源丞内

金次郎像では無いが、山で薪を採って親孝行したと言う意味では共通する。

<養老駅前の看板記事より>
昔、元正天皇の御時美濃の国に貧しい男がいました。この男は山から薪を取ってきて
それを売って年をとった父を養っていました。この父は大へんお酒が好きだったので、
男は「ひょうたん」を腰につけていて帰りにお酒を買って来ては父を喜ばせていました。
ある日、山の中でこけの生えた石にすべってうつむけにころんでしまいました。すると、
どこからかお酒のにおいがするのでふしぎに思ってあたりを見まわすと、石の間からお
酒ににた水がわいていました。汲んでなめてみると、たいへんおいしいお酒の味がしま
す。男は喜んで毎日このお酒を汲んで持ち帰り、父を喜ばせていました。このことはや
がて元正天皇のお耳に入り、わざわざ養老をおこしになりました。そのお酒の出るとこ
ろをごらんになって「これは感心な親孝行を神さまがおほめになり、お酒をおさずけに
なったにちがいない」とおほめになりました。そして年号を「養老」とお改めになり「養老
の瀧」と名付けられ、この男を「養老の守」という役人におとりたてになりました。    

   
   

   


この石像は「孝子源丞内」です。「孝子」とは親に孝行をした感心な人という意味です。
天皇が養老の地に行幸になられたのは、第四四代の源正天皇(西暦717年)と翌年 
(西暦718年)と第四五代の聖武天皇(西暦740年)の三回です。この源丞内のお話は
「続日本紀」(西暦866年)と「古今著聞集」(西暦1354年)「大日本史」(西暦1709年
)「十訓抄」(西暦1252年)また「謡曲養老」「養老寺縁起」など多くの本により古くから
全国に伝えられていました。この「孝子源丞内」は私たち町民の誇りと希望であります。
この願いをこめて私たちの住む町を「養老町」と名付けられました。また親孝行のふるさ
 と養老」を全国に発信し「養老町民憲章」を実践して「孝子源丞内」をめざしております。 
 この石像は源丞内の親孝行に感動された駒野の川瀬くらさんが昭和14年(西暦1939
年)三月に建立されました。平成14年1月吉日養老孝子源丞内の会養老駅前会建立
   
   
   
   
   
   
   








   


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