杉浦鍛工所 訪問記

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                   @ きっかけ
                                            
                                            尾張地方の火の見櫓の写真を撮り始めて、尾張各地にわたって「杉浦鍛工所」
                                            銘板が取り付けられた
火の見櫓に頻繁に遭遇しました。
                  その共通した楕円形の銘板には製造年とみられる数字と共に「名古屋市熱田区波寄町
                                            六七」と記されています。

                    そのデザインにはみごとに統一されたスタイルがあり、特に屋根の部分のソリ具合 
                                            かざりにはすばらしいものがあります。
                  あまりにも多くの「杉浦鍛工所」製の火の見櫓の存在に接して、とても興味がわいて
                                            きました。

旧立田村 森川


                   A 調査

                    名古屋市熱田区あたりは、元々 中小の工場が多かった所でもあり、もしかして
                    まだ 現存しているのではないかと思い調査を始めました。
                    調べていく上で手がかりは
「杉浦鍛工所、名古屋市熱田区波寄町六七」という
                    住所しかありません。
                    そこで電話帳で探しましたがありませんでした。
                    地図で見てみると住所自体が、まだ町名(波寄町)は存在していましたが番地が
                    六七に該当する所はなく
これは現地に行って調査するしかないと思いました。

                      現在この地区はJR中央線金山駅、名鉄金山駅、地下鉄の駅のすぐ近くで、
                    近年大きなショッピングセンターもでき、かつて中小の工場があった所はすっかり
                    変貌していました。

                      町を歩いていると「杉浦新聞店」という店をみつけ、さっそくお聞きしたところ
                    「杉浦はこの あたりに何軒かあり、昔 鉄工所だった家も親戚であったらしいが、
                    代が替わり今ではもう分からない」ということでした。

                    もうこれは杉浦さんを一軒一軒当たるしかないということで、歩いて探してみると
                    何軒か杉浦さんがありました。
                    ただ、どこも普通の民家で工場があったような家は見当たりません。
                    たまたまお聞きした方が「そういえば昔あそこにあったよ」と教えていただき、
                    その家に向かいました。

杉浦新聞店 波寄町


                   B 訪問 出会い

                  杉浦さんご健在でしたご近所に、一緒に働いていた弟さんもご健在とのことです。
                      84歳(平成18年)。とても柔和で人柄が偲ばれるすばらしい方でした。
                    現在は廃業されていますが、その後「杉浦工業所」と名前を変えて10年くらい前まで
                                                営業されていたそうです。
                    もちろん
火の見櫓の新規施工は昭和40年代初めに無くなりましたが
鉄鋼構造物
                                                コンベア等の産業用機材を製作をされていました。
                    そして、なんとまだ当時の工場がそのまま駐車場として残っているとのお話で、さっそく
                                                工場跡を拝見しました。
                    奥の木造の部分が当時の様子を残しているそうです。

                    火の見櫓の組み立ては、なんと丸一日で組み上げたそうです。もちろん工場で
                    仮組みして 現地で組み立てるだけの準備をして行くわけですが、とび職4〜5人で一気に
                    組み建てて しまったそうです。

                    「杉浦鍛工所」製作の火の見櫓は全部で101本。
                    その後一度もその場所を訪れたことが無いので、現在何か所残っているのかも、
                    当時の資料も 一切無いので、私が撮った写真を差し上げたら大変喜んで
                    おられました。

                    
火の見櫓の製作では、特に屋根のそったカーブの部分やかざりにはとてもご苦労
                    されたようで、写真を見ながら当時を振り返って思い出しておられました。

                    杉浦さんご本人の写真も撮影させていただいたのですが、当ホームページに
                    ご本人の写真の 掲載許可を御願いしましたが残念ながら固辞されました。
                    
                    この先杉浦鍛工所施工の火の見櫓がいつまで残るかは分かりませんが、この地方の
                    多くの
火の見櫓に付けられた「杉浦鍛工所」の銘板はひとつの歴史として
                    きっと記憶されることでしょう。

 杉浦鍛工所 工場跡

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